禁じられた遊び
今年の終戦記念日には、これを観ようとかなり前から思っていた。
「禁じられた遊び」だ。
学生のころ、名画ばかりをやっていた安い映画館の深夜料金の時間帯に、映画好きの友人Mと観たときは、ナルシソ・イエペスのギターの音色と、ラストシーンの切なさだけが印象に残っていて、ルネ・クレマンのメッセージだとかは、よく分からなかった。友人Mからは、思わせぶりな口調で、鑑賞力のないやつだと、さんざんからかわれたものだ。その思い出が突然、呼び起こされて、よーし観てやろうじゃないか、の気分になったのだ。
禁じられるべきは、死んだ子犬が寂しくないように、教会や墓場の十字架を集めて、水車小屋の中に埋めた子犬の周囲に、もぐらとかカタツムリだとかの生き物たちの墓地を作るという、ポーレットとミシェルの痛々しくなるような無邪気な遊びじゃなくて、それを導いた戦争だ、というのが作者のコンセプトとして知られている。
でも、そんなふうに抽象化してはいけない、と改めて観て、思った。
ポーレットはドイツ軍の戦闘機の機銃掃射で、自分をかばった両親を亡くした。可愛いがっていた子犬も死んだ。でも、彼女は、彷徨い歩いたあげくに巡り会ったミシェルとかドレ家の人々には、両親のことは何も語っていない。そのポーレットが、孤児院に入れられるために連れて行かれ、ラストシーンで同名別人のミシェルの名が呼ばれるのを聞いて、たまらずに雑踏のなかを駆けだしたとき、ミシェルの名前といっしょにママと叫んだのはなぜだろう。あのポーレットの叫びで、もう一度、物語を最初から振り返らなくてはならなくなるのだ。あの唐突すぎるセリフに、ルネ・クレマンの戦争に対する怒りが凝縮されているように思えてならない。
ルネ・クレマンは、計算尽くで、そんな効果をねらったのだろうか。水車小屋のふくろうの無表情な澄んだ目を通して、ルネ・クレマンは何を見せようとしたのだろうか。
死んだ子犬が寂しくないように、墓場を作る、という「無邪気な遊び」を丁寧に描いているのも、リアルでいたいたしい。ポーレットが寂しくないように献身的に振る舞うミシェルの男の子っぽくて潔い行動もいい。
白黒の映像だけど、丁寧なカメラワークだから、画面の向こうには、南仏の鮮やかでのどかな田園風景が広がって見える。そのシャープな映像を背景に、淡雪のようにはかなく描かれる子供たちの世界は、かなり悲しい。動機と行動の子供的で無邪気すぎる連携は自然だし、違和感がないところが怖い。
ふっ、おれもようやくMに近づいたのかな。
そんなことを思いながら、がばがばとお酒を飲むのは、少しばかり不謹慎で、よくないとは思うのだけど。
そして明日からは仕事。
久しぶりに仕事を忘れた数日間だった。
ずいぶんとお酒も飲んだし、無事に、社会復帰できるだろうか。
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